akinaga: 2011年4月アーカイブ
先日見つけた、マザー・テレサ」の本は、誰のものかわからず、
結局、読んでしまいました。
「Love at home」という箇所がとても印象に残りました。
『遠くにいる人たちを、愛するのは、簡単なことです。
インドの餓えた人たちのことを考えるのも、とても簡単なことです。
あなたはまず自分の家庭に、次にお隣に、そして、あなたの住んでいるところ、
それからアナタの街に、目を向けなくてはなりません。
それから、初めて外に向かうのです。』
人間は、エゴイズムと自惚れに満ち溢れていると思います。
ここからは、仏陀の言葉です。
「本当だ、あの人、この人、ひどい。私が一番正しい。」
と思っている方々、実は、周りの方々が、あなた以上に我慢していることを
知っていますか?
あなたがどれだけ我慢しているか知りませんが、どれだけあなたは、人に
我慢を強いているのか。
目の前のお仕事を1つ1つ、大切に、心を込めて、これからも頑張って行こうと、
またまた思った私でした。
読んでいただいてありがとうございました。
海外の日程表を頂いて、空港名あるいは航空会社の名前を打っていると、
思い出します、ある機内アナウンスを。
今も、やっぱり頭に浮かんできます。
あれは、今でも頭から離れません。苦しいです。
お仕事ですから、笑わないようにしなくてはいけませんから、余計に苦しいです。
ちょうどあの時は、成田空港の正式名称が変わったときのことでした。
成田空港に到着すると、いつも機内アナウンスでは、
「成田空港」とありましたが、「成田新東京国際空港」へと変わった時でした。
成田に到着した時、乗務員さんが日本語のアナウンスを始めました。
「皆様、ご搭乗機は、ただいま・・・・・・えっと・・・・(ブチッ・・マイクの切れる音)
・・・とう・とう・とう・・・ あ・・(ブチッ・・)・・しん・・・東京・・・(ブチッ・・)・・・」
皆、顔を見合って、(あらららら・・・困ってるしぃ~・・・)って思っている感じでした。
みんな、思っていたはずです、「なりた!・くうこう!!」って。
また、マイクが入って、
「皆様、失礼致しましたぁ。
ただ今、ご搭乗機は、なり・・なり・・なりた・・・え?(ブチッ)・・・しん・・・しん・・・・
とう・・あれ?ちち・・ ちがう・・・・(ブチッ)。」
しばらくシ~~~~~ン。
回りの人たちも、いつか、きちんと、到着した空港の名前を言ってくれるのを、 待っていました! せめて「成田」と言って欲しい・・・・!と思っていたに違いありません。
するとまたマイクが入り、
「あらら?到着・・・・ブ~!・・・空港にぃ・・・・・・・・(ブチッ)」
「は~~~、パァ~~~~~~~(ブチッ)」
結局、あの時は、「は~~パァ~~~~~」で終わり、飛行機のドアが開きました!
本当にあれで終わりでした。
まあ、無事に到着したので、どなたもクレームを出しませんでした。
私が代わりに韓国語でアナウンスをした方が良かったか・・・。
本当に、本当に、世の中、色々な方がいます。
読んでいただいてありがとうございました。
うっそ、うそでしょ!
初めての韓国行き、その飛行機の中で韓国語による機内アナウンスを、
いきなり頼まれ・・・嘘のような、冗談のような要求をされる・・・。
今から思うと、恐ろしい話です。
しかし、若さゆえのこと、好奇心旺盛な、若さゆえの成せる業。
何でもやってみたかった、何にでも「はい、はい」言ってしまった
若かったあの頃・・・。
もう飛行機は着陸間近でしたが、通訳の方が最後まで、
私のジャパニーズ・韓国語の特訓をしてくださいました。
飛行機が着陸すると、直ぐにアナウンスを始めなければなりません。
「皆様、お疲れ様でございました。ただ今、金浦空港に
到着いたしました。(・・・中略・・・)
それでは、皆様、またお目に掛かれる日を楽しみにしております。
ありがとうございました。さようなら。」と。
着陸をして直ぐに、シートベルトを外して、ドキドキしながら通訳の方の
傍に行き、マイクを手にしました。
「ヨ・ヨヨヨ・・・ヨ・・・ヨヨ・・、ヨローブン(皆様)・・・・」
と言い始めたら・・・一気に機内がザワザワし始めました。
通訳の方は、隣で
「大丈夫、上手い上手い!!」
と褒めてくださいましたが、明らかに機内のムードは違っておりました。
「大丈夫、続けて!」
と通訳の方がおっしゃったので、読み続けました。
段々、機内が、ザワザワッとしてきました。
言い続けていると、段々ガヤガヤと騒がしくなっていました。
最後に、
「・・・・アンニョ ヒガセヨ(さようなら)」
と、言い終わったとき、ド~~~ッと大爆笑。
その後、大拍手が起こりました。
通訳の方は、
「ありがとうございました。上手だったですよ。」
と言いながらも・・・おなかを抱えて笑っていました。
何がどうおかしかったのか・・・何がどう上手だったのか、未だにわかりません。
でも、
(オリンピックという国を上げての一大イベント、お祭りは、人をこんなにも
大らかに、そして優しくしてしまうんだわ。)
と、感動してウルウル来てしまいました。
一度に体験させて戴きました。
≪一応・完≫
今日も一日の最後にソウル3泊の日程表を作成いたしました。
でも、ここでこの話を書こうと思っていたので、何も思わずに、
思いがどこかに行くことなく、スムースに打ち終わりました。
読んで戴きありがとうございました。
また宜しくお願い致します。
私は、日程表を作成するとき、一生懸命に頑張っております。
少しでも早く仕上がるように一生懸命心を込めて作らせて戴いております。
韓国行きの日程表は、大抵2泊とか3泊ですので、簡単に終わるはずです。
なのに何故か・・・・気が付くと、意識が韓国に行ってしまいます。
今でも忘れることのできない出来事が、私の意識を韓国に連れて行って
しまいます。
1988年、ソウルオリンピック開催の時、仕事の仲間と初めて韓国・ソウルに
行くことになりました。
とても楽しみにしていました。
飛行機に乗ると、海外に住んでいる韓国の方々がオリンピックの時期に
帰郷されるということで、お客様は、まさかの全員韓国人でした。
機内は、ワイワイ・ガヤガヤで、もう1つの、韓国がそこには、ありました。
すると、1人の韓国人のおじ様が私に話しかけてきました。
「アンニョンハセヨ~!」
私は、韓国語は全く駄目でしたが、知ったかぶりをして、
「ネ~、アニョンハシムニカ~!ネ~!!」
と答えました。
するとそのおじ様、私の隣でベ~ラ・ベ~ラ・ベラ~~っと韓国語で
話し始めました。
私もさすがに慌てて、
「あ、ノー・コーリアン」
と言いましたら、おじ様は日本語で、
「え?あなた、日本人? ぜ~~~~ったい違います!あなた韓国人。」
「いいえ、私は、日本人です。」
と言いましたら、おじ様、
「いや~~違う、ぜ~~~ったいにあなたは、韓国人ですね~。」
って。
「あなた、これから、ソウル?オリンピックだからね~。
ソウルに着いたら、家にぜったい、いらっしゃい。」
とまで言ってくださいました。
結局、住所をくださらなかったので、行くことはできませんでしたが、
優しい韓国の方とお話しができて、とても嬉しくなりました。
金浦空港へ向けて着陸態勢に入るちょっと前のことです。
機内の韓国人の通訳の方が、私のところにやってきました。
「すみません、お客様からのリクエストなのですが、
韓国語で、機内アナウンスをしていただけませんか?」
「はぁ? え??? なに? 私、韓国語出来ないんですけれど・・・。」
とお断り加減で言いますと、通訳の方は、
「大丈夫です、全てフリガナを書きましたし、文章も短いですから。」
といって、カタカナで書かれた紙を渡されました。
冗談じゃないわけ? うそ! うそでしょっ!
・・・続く・・・・
先週、木曜日の夜、電車に乗って座っていました。
車内は会社帰りの人達で混んでいました。
ある駅で、キャッキャ、キャッキャお話をしながら、若い女性の会社員が5人
とても楽しそうに乗り込んできました。
なんとなく、顔は、まだ学生さんで、スーツが真新しかったので、新人さんか、
と思いました。
その後にもドンドン、疲れ切ったお顔のスーツを着たお兄様、おじ様たちが
乗ってきました。
こんな感じでしたから、あの5人の女性たちの所が、得に輝いて見えました。
(華やかで良いわぁ!)
なんて思うと、もう、「おばさんの域に入っている」そうですが・・・まあ、仕方ない。
電車のドアが閉まり、走り出すと、いきなり男性の怒鳴り声が聞こえました。
私はとても驚いて、当たりを見回すと、だ~れも、びっくりした様子を
していませんでした。
あの、5人にも変わった様子がなく、楽しそうにお話したり、笑ったりしていました。
私も、電車の音か、きっと、空耳だったのか思い、ホッとしました。
すると又、怒鳴り声が聞こえました。
(誰だ?!!聞こえちゃったものね!!)
と顔を上げても、回りの人たち、5人の新人会社員には変わった様子はありません。
でも、私は、
(あ~~~!!も~、絶対、誰か怒鳴った!!)
クルクル当たりを見回しました。
いました!いました!
ドアの所に汗だくで立っているサラリーマンの男性が!
誰に対してと言う感じではなく、とにかく、クルクル視点を定めず、怒鳴っていました。
(あら、でも、病気の方かしら?!)
良く、障害者の方が大きい声を出していらしたりするので、そうかと思いましたし、
何しろ、回りの人たちも、何も反応して居なかったので、
(あ~、そうだわぁ!)
と思い、またホッとしておりました。
すると、今度ははっきり聞こえました!
「電車内で話すな!!」って。
今度は、その人が遠くから、しっかり、あの5人の女性たちに顔を向け、
言葉を向けておりました。
しかし、5人には、そんな声も届いておりませんでした。ラッキー!
でも、私は、悲しくなりました。
心臓がチクン、チクン傷みましたが、(頑張れ!新人君たち!!)と、エールを
送りました。
あの日の夜、また、大きな地震がありました。
私の心臓、本当に、今に止まっちゃうかも。
読んでいただいてありがとうございました。
東北地方太平洋沖地震が発生してから1ヶ月が経ちました。
ご家族を亡くされた方々、ご家族の行方がまだお分かりにならない方々・・・
避難生活をされていらっしゃる方々・・・皆様、本当におつらいことです。
皆様のご心痛、お察しするに余りあるものがございます。
地震より1ヶ月経ち、少し、やっとあの時のことを書けるようになりました。
先月の大地震の時、家の中は大変なことになっておりました。
本棚が倒れ、その下に書物が散乱しておりました。
あまりにも怖くて、夜は眠ることができませんしたので、
片付けをしながら、落ち着こうと考えました。
すると、崩れた本の山の中から、一冊の本を見つけました。
いつ買ったのか・・・いつから本棚の中に眠っていたのか・・
全く覚えておりません。
その本のタイトルは、「マザー・テレサ」でした。
お借りしたのか、借りたとしたら、返していない・・ということで
失礼なことです。
でも買った覚えもありませんし、読んだ覚えもありませんでした。
片付け終わってから、グッタリしながらソファーに座り、
まだ震えていた手で、本を開いてみました。
『(・・略・・)
ゆるすことを学ばなければなりません。
ゆるしを請うこと。
責めるのではなく、ゆるしますということ。
まず和解し、一致しましょう。
他の人たちとではなく、まず自分と。
それは、自分の中に清い心を持つことから始まります。(・・略・・)』
「ごめんなさい!」って言ってしまいました。
(とにかく、ごめんなさい、今更ながらも、でもこんな時だから、
全部ごめんなさい!!)と、反省しました。
余震に脅えながらも、「ごめんなさい」って思いながら、
すべての番組が地震のニュースに変わったテレビを観ておりました。
また先ほど、大きな地震がありました。
皆様、どうぞ、れぐれも大事になさってください。
読んで戴きありがとうございました。
