akinaga: 2011年4月アーカイブ

韓国で、叔父の知り合いが経営しているレストランで、私たちは
入れ替わり立ち代り、2日間に渡って散々食べまくりました。
お金を受け取ってもらえず、どうしましょ~~、と思っていました。

(これは大変なことだから、今度こそお金を受け取ってもらおう)
最終日の夜、夕食に全員でまたそのレストランに行きました。

今度こそ、「全部取ってもらう!」ってみんなで決意して行きました。
またまた散々食べてしまいました。

結局、やはり、叔父の知り合いは、
「いいの、サービス、サービス」
と言って、全員の分をご馳走してくださいました。

日本に戻って、叔父にお礼の電話を入れました。
叔父も、「良かった、良かった!それで良い。」
と大変喜んで言ってくれました。

それから暫くして、叔父から電話が入りました。
「おじさん!この間はありがとう!」というと、
叔父の第一声、
「すごい量を食べたんだなぁ!一体何を食べたんだぁ?」
私は、ちょっと話がのみこめず、
「知り合いの方から、お電話でも入ったの?」
と聞くと、

叔父は一言、
「請求書が届いたよ。」
絶句でした。

叔父が全部支払ってくれました。
もう、3日連続の合計金額は、恐ろしくて聞けませんでした。

韓国では、年上の方は、年下にご馳走するのが当たり前だと、あの時
初めて知りました。
叔父は知り合いの方より年上でしたから・・・。

ロクなお返しもできないまま、叔父は、他界してしまいましたが、
日程表で、韓国の日程、また、『レストランにて韓国名物:ビビンパ、
カルビ1.5人前・・』などと打っていると、韓国語の機内アナウンス、
叔父のこと、そして、あの時の韓国旅行を思い出します。

≪完≫

読んで戴きありがとうございました。

先日の続きを書かせていただきます。

私が仕事の仲間と初めての韓国に行くと決まった時、叔父の知り合いの
韓国人の連絡先をもらっておりました。

泊まったホテルは『ロッテホテル』でしたが、ちょうどそのホテルの近くで、
叔父の知り合いがレストランを経営している、ということでしたから、
(一日目の夕食はそこで食べたいわぁ。)と思いました。

到着してから、買い物組と食事組とに分かれていましたので、私は
3人の仲間と、そのレストランに行きました。
レストランに入って、通訳の方から習ったばかりの韓国語で自己紹介しました。

『アンニョンハシムニカァ~、ウリ、ケイコォ~!!』
と言うと、叔父の知り合いの方と、そばにいた家族は大爆笑でした。

でも、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、『ウリ』は、『我々』と言う意味です。
挨拶の時点で、「我々は、ケイコですぅ~。」ってことで、既に、つかみはOKだった
わけです。
それを知ったのは、最近のことです・・・本当に恥ずかしい。

叔父が電話を入れていてくれたので、あちらも大歓迎をしてくださいました。
(韓国の人は、本当に朗らかだわぁ~)、と思いました!

とにかく、美味しそうなものを端から注文して、お腹も一杯になり、お会計になると、
「サービス!サービス!いらない!」
と日本語で言って、お金を受け取ってくれませんでした。

『カムサハンミダ』
と何回言ったか覚えていませんが、本当に嬉しかったことを覚えています。

しかし、ご馳走していただいては、こちらも申し訳なかったので、次の日に
買い物組の仲間に、そのレストランに食べに行ってもらうことにしました。
4~5人で行ったと思いますが、
「ケイコの紹介だと言ったら、全部サービスしてくれた・・・」
と言って戻って来ました。

だめでしょ!それじゃぁ~。

≪続く≫

また読んでくださいますよう、お願いいたします。

Love at home

| | コメント(0) | トラックバック(0)

先日見つけた、マザー・テレサ」の本は、誰のものかわからず、

結局、読んでしまいました。

 

Love at home」という箇所がとても印象に残りました。


『遠くにいる人たちを、愛するのは、簡単なことです。

インドの餓えた人たちのことを考えるのも、とても簡単なことです。


 あなたはまず自分の家庭に、次にお隣に、そして、あなたの住んでいるところ、

 それからアナタの街に、目を向けなくてはなりません。

それから、初めて外に向かうのです。』

 

人間は、エゴイズムと自惚れに満ち溢れていると思います。


ここからは、仏陀の言葉です。

「本当だ、あの人、この人、ひどい。私が一番正しい。」

と思っている方々、実は、周りの方々が、あなた以上に我慢していることを

知っていますか?

あなたがどれだけ我慢しているか知りませんが、どれだけあなたは、人に

我慢を強いているのか。


目の前のお仕事を1つ1つ、大切に、心を込めて、これからも頑張って行こうと、

またまた思った私でした。

 

読んでいただいてありがとうございました。

海外の日程表を頂いて、空港名あるいは航空会社の名前を打っていると、

思い出します、ある機内アナウンスを。

今も、やっぱり頭に浮かんできます。

あれは、今でも頭から離れません。苦しいです。

お仕事ですから、笑わないようにしなくてはいけませんから、余計に苦しいです。



ちょうどあの時は、成田空港の正式名称が変わったときのことでした。

成田空港に到着すると、いつも機内アナウンスでは、

「成田空港」とありましたが、「成田新東京国際空港」へと変わった時でした。

 

成田に到着した時、乗務員さんが日本語のアナウンスを始めました。


皆様、ご搭乗機は、ただいま・・・・・・えっと・・・・(ブチッ・・マイクの切れる音)

・・・とう・とう・とう・・・ あ・・(ブチッ・・)・・しん・・・東京・・・ブチッ・・)・・・」

 

皆、顔を見合って、(あらららら・・・困ってるしぃ~・・・)って思っている感じでした。

みんな、思っていたはずです、「なりた!・くうこう!!」って。

 

また、マイクが入って、

皆様、失礼致しましたぁ。

ただ今、ご搭乗機は、なり・・なり・・なりた・・・え?(ブチッ)・・・しん・・・しん・・・・

とう・・あれ?ちち・・ ちがう・・・・(ブチッ)。」


しばらくシ~~~~~ン。


回りの人たちも、いつか、きちんと、到着した空港の名前を言ってくれるのを、

待っていました!

せめて「成田」と言って欲しい・・・・!と思っていたに違いありません。


するとまたマイクが入り、

あらら?到着・・・・ブ~!・・・空港にぃ・・・・・・・・(ブチッ)」


は~~~、パァ~~~~~~~(ブチッ)」

こっちが「パ~~~!」なんですけれど。 


結局、あの時は、「は~~パァ~~~~~」で終わり、飛行機のドアが開きました!

本当にあれで終わりでした。

本当にびっくりしました。

 

まあ、無事に到着したので、どなたもクレームを出しませんでした。

私が代わりに韓国語でアナウンスをした方が良かったか・・・。


本当に、本当に、世の中、色々な方がいます。

 

読んでいただいてありがとうございました。

うっそ、うそでしょ!

初めての韓国行き、その飛行機の中で韓国語による機内アナウンスを

いきなり頼まれ・・・嘘のような、冗談のような要求をされる・・・。



今から思うと、恐ろしい話です。

しかし、若さゆえのこと、好奇心旺盛な、若さゆえの成せる業。

何でもやってみたかった、何にでも「はい、はい」言ってしまった

若かったあの頃・・・。

 

もう飛行機は着陸間近でしたが、通訳の方が最後まで、

私のジャパニーズ・韓国語の特訓をしてくださいました。

 

飛行機が着陸すると、直ぐにアナウンスを始めなければなりません。

「皆様、お疲れ様でございました。ただ今、金浦空港に

到着いたしました。(・・・中略・・・)

それでは、皆様、またお目に掛かれる日を楽しみにしております。

ありがとうございました。さようなら。」と。

 

着陸をして直ぐに、シートベルトを外して、ドキドキしながら通訳の方の

傍に行き、マイクを手にしました。

「ヨ・ヨヨヨ・・・ヨ・・・ヨヨ・・、ヨローブン(皆様)・・・・」

と言い始めたら・・・一気に機内がザワザワし始めました。

 

通訳の方は、隣で

「大丈夫、上手い上手い!!」

と褒めてくださいましたが、明らかに機内のムードは違っておりました。

「大丈夫、続けて!」

と通訳の方がおっしゃったので、読み続けました。

段々、機内が、ザワザワッとしてきました。

言い続けていると、段々ガヤガヤと騒がしくなっていました。

そのうちに大笑いする人が出てきました・・・。 


最後に、

「・・・・アンニョ ヒガセヨ(さようなら)」

と、言い終わったとき、ド~~~ッと大爆笑。

その後、大拍手が起こりました。

 

通訳の方は、

「ありがとうございました。上手だったですよ。」

と言いながらも・・・おなかを抱えて笑っていました。

 

何がどうおかしかったのか・・・何がどう上手だったのか、未だにわかりません。

でも、

(オリンピックという国を上げての一大イベント、お祭りは、人をこんなにも

 大らかに、そして優しくしてしまうんだわ。)

と、感動してウルウル来てしまいました

、同時に、『穴があったら入りたい』と『顔から火が出る』という諺を

一度に体験させて戴きました。

                                   ≪一応・完≫


今日も一日の最後にソウル3泊の日程表を作成いたしました。

でも、ここでこの話を書こうと思っていたので、何も思わずに、

思いがどこかに行くことなく、スムースに打ち終わりました。

                          

読んで戴きありがとうございました。

また宜しくお願い致します。

私は、日程表を作成するとき、一生懸命に頑張っております。

少しでも早く仕上がるように一生懸命心を込めて作らせて戴いております。


国行きの日程表は、大抵2泊とか3泊ですので、簡単に終わるはずです。

なのに何故か・・・・気が付くと、意識が韓国に行ってしまいます。

今でも忘れることのできない出来事が、私の意識を韓国に連れて行って

しまいます。



1988年、ソウルオリンピック開催の時、仕事の仲間と初めて韓国・ソウルに

行くことになりました。

めての韓国♪ 近くて、ちょっと遠い韓国♪ 

とても楽しみにしていました。

 

飛行機に乗ると、海外に住んでいる韓国の方々がオリンピックの時期に

帰郷されるということで、お客様は、まさかの全員韓国人でした。

 

機内は、ワイワイ・ガヤガヤで、もう1つの、韓国がそこには、ありました。

すると、1人の韓国人のおじ様が私に話しかけてきました。

「アンニョンハセヨ~!」

私は、韓国語は全く駄目でしたが、知ったかぶりをして、

「ネ~、アニョンハシムニカ~!ネ~!!」

と答えました。

 

するとそのおじ様、私の隣でベ~ラ・ベ~ラ・ベラ~~っと韓国語で

話し始めました。

私もさすがに慌てて、

「あ、ノー・コーリアン」

と言いましたら、おじ様は日本語で、

「え?あなた、日本人? ぜ~~~~ったい違います!あなた韓国人。」

「いいえ、私は、日本人です。」

と言いましたら、おじ様、

「いや~~違う、ぜ~~~ったいにあなたは、韓国人ですね~。」

って。

 

「あなた、これから、ソウル?オリンピックだからね~。

 ソウルに着いたら、家にぜったい、いらっしゃい。」

とまで言ってくださいました

結局、住所をくださらなかったので、行くことはできませんでしたが、

優しい韓国の方とお話しができて、とても嬉しくなりました。

 

金浦空港へ向けて着陸態勢に入るちょっと前のことです。

機内の韓国人の通訳の方が、私のところにやってきました。

「すみません、お客様からのリクエストなのですが、

  韓国語で、機内アナウンスをしていただけませんか?」

 

「はぁ? え??? なに? 私、韓国語出来ないんですけれど・・・。」

とお断り加減で言いますと、通訳の方は、

「大丈夫です、全てフリガナを書きましたし、文章も短いですから。」

といって、カタカナで書かれた紙を渡されました。

 

冗談じゃないわけ? うそ! うそでしょっ!


                              ・・・続く・・・・


私の心臓

| | コメント(0) | トラックバック(0)

先週、木曜日の夜、電車に乗って座っていました。

車内は会社帰りの人達で混んでいました。

 

ある駅で、キャッキャ、キャッキャお話をしながら、若い女性の会社員が5人

とても楽しそうに乗り込んできました。

なんとなく、顔は、まだ学生さんで、スーツが真新しかったので、新人さんか、

と思いました。

 

その後にもドンドン、疲れ切ったお顔のスーツを着たお兄様、おじ様たちが

乗ってきました。

こんな感じでしたから、あの5人の女性たちの所が、得に輝いて見えました。

(華やかで良いわぁ!)

なんて思うと、もう、「おばさんの域に入っている」そうですが・・・まあ、仕方ない。

 

電車のドアが閉まり、走り出すと、いきなり男性の怒鳴り声が聞こえました。

私はとても驚いて、当たりを見回すと、だ~れも、びっくりした様子を

していませんでした。

あの、5人にも変わった様子がなく、楽しそうにお話したり、笑ったりしていました。

 

私も、電車の音か、きっと、空耳だったのか思い、ホッとしました。

 

すると又、怒鳴り声が聞こえました。

(誰だ?!!聞こえちゃったものね!!)

と顔を上げても、回りの人たち、5人の新人会社員には変わった様子はありません。

でも、私は、

(あ~~~!!も~、絶対、誰か怒鳴った!!)

クルクル当たりを見回しました。

 

いました!いました!

ドアの所に汗だくで立っているサラリーマンの男性が!

誰に対してと言う感じではなく、とにかく、クルクル視点を定めず、怒鳴っていました。

 

(あら、でも、病気の方かしら?!)

良く、障害者の方が大きい声を出していらしたりするので、そうかと思いましたし、

何しろ、回りの人たちも、何も反応して居なかったので、

(あ~、そうだわぁ!)

と思い、またホッとしておりました。

 

すると、今度ははっきり聞こえました!

「電車内で話すな!!」って。

今度は、その人が遠くから、しっかり、あの5人の女性たちに顔を向け、

言葉を向けておりました。

 

しかし、5人には、そんな声も届いておりませんでした。ラッキー!


でも、私は、悲しくなりました。

心臓がチクン、チクン傷みましたが、(頑張れ!新人君たち!!)と、エールを

送りました。

 

あの日の夜、また、大きな地震がありました。

私の心臓、本当に、今に止まっちゃうかも。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

東北地方太平洋沖地震が発生してから1ヶ月が経ちました。

ご家族を亡くされた方々、ご家族の行方がまだお分かりにならない方々・・・

避難生活をされていらっしゃる方々・・・皆様、本当におつらいことです。

皆様のご心痛、お察しするに余りあるものがございます。


地震より1ヶ月経ち、少し、やっとあの時のことを書けるようになりました。

先月の大地震の時、家の中は大変なことになっておりました。

くのものが崩れ、壊れてしまいました。

本棚が倒れ、その下に書物が散乱しておりました。

 

あまりにも怖くて、夜は眠ることができませんしたので、

片付けをしながら、落ち着こうと考えました。

 

すると、崩れた本の山の中から、一冊の本を見つけました。

いつ買ったのか・・・いつから本棚の中に眠っていたのか・・

全く覚えておりません。

その本のタイトルは、「マザー・テレサ」でした。

お借りしたのか、借りたとしたら、返していない・・ということで

失礼なことです。

でも買った覚えもありませんし、読んだ覚えもありませんでした。

 

片付け終わってから、グッタリしながらソファーに座り、

まだ震えていた手で、本を開いてみました。

 

『(・・略・・)

  ゆるすことを学ばなければなりません。

 ゆるしを請うこと。

 責めるのではなく、ゆるしますということ。

 まず和解し、一致しましょう。

 他の人たちとではなく、まず自分と。

 それは、自分の中に清い心を持つことから始まります。(・・略・・)』

 

「ごめんなさい!」って言ってしまいました。

(とにかく、ごめんなさい、今更ながらも、でもこんな時だから、

全部ごめんなさい!!)と、反省しました。

 

余震に脅えながらも、「ごめんなさい」って思いながら、

すべての番組が地震のニュースに変わったテレビを観ておりました。


また先ほど、大きな地震がありました。

皆様、どうぞ、れぐれも大事になさってください。


読んで戴きありがとうございました。

今からずっと昔のことになりますが、まだまだ本当に私が若かった頃の
ことを、今でも思い出します。

私は、東京在住のフランス人女性と、知り合いました。
彼女は、日本人の方と結婚して木場に住んでいました。
その彼女が、手料理を振舞ってくれると言うことで、自宅に招待されました。

フォアグラでしょ、キャビアでしょ、トリュフでしょ!
それから、それから、クリームソースの掛かったお魚料理!

でも、お肉は苦手だから、まあ、サラッと食べちゃってぇ。
でも、デザートまで行ったら全部食べられないかもぉ。


自宅に伺うと、テーブルの上には既に、サラダが用意されていました。
山ほどの、色とりどりのお野菜が、大皿一杯に盛られていました。
彼女が取り分けてくれました。

レタス、トマト
(うん、食べられます、私。)

茹でたジャガイモが・・・ゴロン・ゴロン。
(あらまっ!ずいぶん大胆ねぇ。)

皮をむいていない茹でた人参が・・・ゴロン・ゴロン。
(あらまっ!土っぽいのが残ってる感じがするんだけど・・・。)

更に、何か大きい物が乗っかっていました、本当に、ドン・ドドン!って。
(見た事はある。でも、なに?これ!)

彼女に聞きました。
「これは、なんですか?」
彼女はニコニコしながら、片言の日本語で答えました。
「コレ~ワ、シー・タ~ケ・デ~ス。」
変なところにアクセントを入れちゃうので、わからず、一応食べてみました。

口に入れて、わかりました。
生の、それこそ「生椎茸」でした。ゲゲゲ。
もう、語彙力がないので表現できません。
噛めば噛むほど、なんかぁ・・・・・・・・・・まず~い!

ドレッシングに頼ろうと思ったけれど、サラダ油が掛かっているだけで、
味がない・・・・・なんかぁ・・・やっぱりぃ・・・・まず~い!

(はやく飲み込んじゃえば大丈夫!)
でも、生椎茸も異様に飲み込み難くて、苦労してやっと飲み込んだら、
お約束どおり、彼女がまたお皿に盛ってくれました。
(え~~!もう、こっちは必死なんだけどぉ~!)

彼女にとっては、生の「生椎茸」は、生のマッシュルーム代わりだったのです。
あの頃、マッシュルームなんて、普通のスーパーでは見なかったと思うし、
明治屋とか、紀伊国屋、サミットなどには置いてあったのでしょうか・・・。

まだまだ、あの頃は、小さい島国・日本。
金髪の外国人にとっては、住みやすい国ではなかったでことでしょう。

ですから、一生懸命にもてなしてくれた彼女に、申し訳なくて、結局、
「大好き!これ!」
とか言って、全部食べたことも、あのときの強烈な食感も、鮮明に
覚えております。
しかし、今でも、表現できません。
他のお料理は・・・、
生椎茸が強烈過ぎて、何が出たのか、全く記憶に無いのです。

今でも、日程表作成のお仕事中も、行き先がフランスだったりすると、
やっぱり、フランス人の彼女を思い出し、あの時の、生の「生椎茸」の
なんともいえないモワ~っとした香りが私を包み込んでいます。

は~、これで、あの当時のことが1つ、整理されました。
今日は、日程表を作成するにあたっての私のお話を致します。

旅行会社様から、頂戴したデータを、私どもは、ひたすら忠実に
打ち込みます。

短い日程に関してのものは、大変楽しく、愉快に作ることができます。
打ち終わった後も、「あ~お仕事をしたぁ~。」という感じです。

でも、あるときふと気がつきました。
とても長い日程に関しては、いつの間にか、
私は、その旅に出ていることがります。

飛行機に乗って、目的地に到着して、その後、バスに乗って、
それから列車に乗ったりしたら、乗り物酔いしています。

時差を計算して直したり、打ち込んだり、現地の気温を調べて
いるうちに、完全に現地にのめり込んでいます。
現地情報なんて貼り付ける時も、毎回、
「ボーイさんへチップ、いくらにする?」
等と、いつの間にか考えてしまっています。

お食事など、ホテルの朝食から始まり、昼食もレストランで
美味しいものを戴いたり、夕食は、船に乗ってディナーとありましたら、
もう、満腹です。
タヒチや、ヌメアの現地のディナーショーなんて打ったら、
もう、感激です。鼓の音が聞こえてきてしまいます。

大体10日以上の日程を打ち終わる最後の・・・・「成田国際空港到着」で
グッタリしております。

でもでもでも、最後に必ず、
「このご旅行、ご研修が実りあるものになりますように。」
って、お祈りしてから提出してます。

本当です、笑っている人いらっしゃるでしょっ!!
いつも、心を込めて作成させてただいております。

ご精読ありがとうございました。
自分の意見等を人に読まれるというのは、とても変な気分です。
あまりにも恥ずかしいし不慣れなので、先日観たテレビのお話を書きます。

どこの国だったか・・・アメリカだったか・・・ヨーロッパの国だったか、と・に・か・く!
でも!現代のお話です、私は、絶対に本当だと思っています。

外国の小さい女の子が生まれながらにして、とても重い障害を持って頑張って生きていました。
苦痛も伴っていたそうで、両親も毎日が胸の痛む思いでした。

そんな時少女が言いました。
「ママ、パパ、心配しないで。私は、この障害を神様にお願いしてもらって来たんだから。」と。
両親は、とてもびっくりして、「どういうことなの?」と聞き返しました。

少女は、言いました。
「私がお空の上からこの世界に生まれるちょっと前、神様がそばに来て言ったの。
『地上に生まれるときに、この沢山の引き出しから、一つだけプレゼントを持って行かれるんだよ。
お選び。』って。だから私は、じゃあ、一番重い障害のプレゼントをください、って言ったの。」

両親はとてもびっくりしました。私もびっくりしましたぁ。
生まれてくる前のことを覚えていたということより、どうして娘が『重い障害』をプレゼントとして選んで持ってきたのか、それをお願いしたのか。
どうしてだと思いますぅ?

少女は、言いました。
「だってね、その「重い障害」のプレゼントは、誰かが持って行かなければいけないの。だから、後ろに居た子が痛い思いをしたら可哀想でしょ?だから、私が持って来たの。」
そしたら、(私たちの感覚で)負の引き出しが一つ減るって少女は考えたのです。

この年老いた私の目から久しぶりに涙が溢れ出てきました。
あまりにも綺麗な心に、私の汚い心が、揺さぶられてしまいました。
あまりにも沢山の涙が出たので、自分でも驚きました!

人は、いつの間にか生まれ、いつの間にか生涯を終わる、のでは無いのだということに気がつき、
じゃ、私は、生まれてくるときに、何んのプレゼントを選んで来たのだろうかと、真剣に考えました。
少なくとも、自分にとって益になるものを選んできたに違いないです・・エゴイストだから。
(でも、一体何を選んだのだろう・・)

じゃあ、今、この生きている間は、一生懸命頑張ろうと思いました。
そして、「あ~よく頑張った!」と言って、この世を静かに去って行きたいです。
あとで、私が持ってきたプレゼントが何かわかるかも知れません、天国で。

やっぱりこう言う話題はブログに適さないかしら・・・。
もっと次は、考えます。

ご精読ありがとうございました。






このアーカイブについて

このページには、akinaga2011年4月に書いたブログ記事が含まれています。

次のアーカイブはakinaga: 2011年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。