akinaga: 2011年8月アーカイブ

ある人が地獄で見たことです。

そこでは、みんなが怒り、自己中心で、人を傷つけ、争いごとであふれていました。

みんなの顔は怒りと飢餓から、鬼の形相をしています。。

大きなテーブルにはご馳走があるのに・・・みんなお腹が減っていました。

テーブルに着いてお箸を持って、ご飯を食べようとする人々がそこにいました。

みんなが持っているお箸は、3mはある長いものでした。

 

このお箸を使って、一生懸命に食べようとするけれど、食べられない・・・。

お箸が隣の人に当たって、隣の人は怒り出すし。

お料理は、取れるのに・・・口に運べない・・・だから、頭に来てイライラする・・・。

そして、お腹が空いて空いて・・・。

だから、お箸を振り回し、喧嘩をし出す人々でした。

毎日毎日、みんな、怒り、自己中心で、人を傷つけ、争っていました。

 

そのある人は、今度は天国に行きました。

みんな、幸せな顔をしていて、優しさに満ち溢れ、穏やかな雰囲気でした。

笑い声であふれ、みんなの顔は、満足で一杯でした。

そこにも大きなテーブルがあり、ご馳走が載っていました。

みんなが持っているお箸は・・・そう、3mの長さでした。

地獄で見たお箸と同じものでした。

 

では、何故みんな、幸せな顔をしているのでしょうか・・・。

1人がお料理を取り、遠くにいる人の口に運んであげていました。

そうされた人は、お料理を取り、また別の人の口に入れてあげました。

そう、みんなでお料理を食べさせ、また食べさせてもらっていたのでした。

 

天国と地獄のお話は、人が死んでからのお話だけでは無いと思いました。

今現在、私達がいるこの世の中・・・この天国でのできごとのように、知恵を出し、

人の為に働き、人が自分の為に動いてくれたとき、感謝ができる自分。

そして、毎日少しずつでも、自分を成長させるために努力をして、自分が幸せを

感じる事によって、人に優しくできる、怒ることない生き方をしたいと思う私です。

 

【ウーマンリブって何?と思い始めて。周りの女性達は、仕事を選び始めて・・。

そして、やりたい事はやるけれど、やりたい事はやらない!女性達が増えて。】

 

ふと気がつくと、1日に、お茶汲みをして伝票整理をするとお仕事が

終わってしまい、することが無くなってしまいました。

私は、(ど~しよ~)と思いました。

 

そこで、私は、読書を始めました。

(そう、遊ぶわけではないから、読書で頭を鍛えよう!)

と、思ったわけです。

すると、1人の上司から

akinagaさん、なにやってるの?」

と聞かれましたので、

「はい、お仕事がないので、本を読んでいます。」

と素直に答えました。

 

今度は、その上司が、「目が点」になったようでした。

「だめだよぉ~それじゃぁ~!」

「え~~~??そうなんですか?」


そして、私は、あのころのタイピスト学校に通わせられました。

そうすれば、契約書、レターの作成ができます。

そう上司は考えて、私を学校に通わせてくれました。

毎日会社帰りに、6ヶ月通いました。

 

無事にタイピスト学校を終了し、私は、たくさんのレターや書類を打つお仕事を

いただきました。

 

私は思いました。

自己主張は、きっと大事です。

でも、一方的に主張をして、なにが生まれるでしょうか?!

きっと、自分の中は傲慢な気持ちで一杯になり、そして、周りに、我慢を押し付けるだけだと

思いました。

もし、何かをしたくないのなら、その代わりに、相手が納得できるような何かをしなくては

社会人ではない、と思いました。

日本人としての奥ゆかしさ、謙虚さ、を持ち合わせた女性になりたいと思いました。

 

時々、こうして、過去を振り返ることで、「初心」に戻っている私です。


読んでいただいてありがとうございました。

【OLをしていたときに感じたことです・・・。】


机は、それぞれ、自分たちでそれぞれ拭く、という流れになりました。

上司が、雑巾を持って拭いているのを見て、申し訳ない気持ちで一杯でした。

その内に、上司から

「お茶をください」

と言われると、

「自分で入れてください!」

というOLも出てきました。

「コピーをお願い」

と、言うと、

「え~~~?コピーですかぁ~~??いいですけど、私がやると、すご~~~く時間が

掛かりますよ!」

と言っているOLも居て、私は、「目が点」でした。

 

そのうちに、「お茶汲み・雑用廃止」という決定が出てしまいました。

そして、私は1人、大反対をしました。

すると、他のOLから呼び出され、

「ねえ、会社なんて、小学校みたいなもんだよ。仕事なんてチョロイし。そんな会社で

お茶汲みとかコピー取りなんてできないでしょう!」

と叱られてしまいました。

 

私は、本当に悲しくなりました。

私から、お茶汲みとコピー取りを取ったら何が残る・・・・と思ったのでした。

そして、コピー取りは、男性陣が遠慮するようになり、頼まれなくなりました。

 

OL全員を反対に回したくなかったので、机拭きは、朝早く出社し、誰も居ないときに

しました。

私の大好きな「お茶汲み」これだけは、私は、主張させてもらいました。

私は、他のOL達の白い目に負けず、「お茶汲み」を続けました。

「ウーマンリブ」って、ほんと、一体なに???!

                                            <続く>


こうしてお仕事をさせていただいていると、思い出します、

もう何年も前、初めてOLになったときのことを。


あのころは、OL=お茶汲み・電話取り係り・雑用係りでした。

私は、OLのお仕事が大好きでした。

特に、「お茶汲み」が大好きでした。

 

まず、朝、上司の机拭きから始まり、私の机まで拭きました。

その後、「おはようございます」という挨拶をしながら、上司からお茶を出しました。

気持ちの良い1日の始まりです。

 

そして、午後、おやつの時間に、お菓子と一緒にお茶を出しました。

夏の暑い日は、営業から戻って来た人に、

「お疲れ様でした。」

と、言って、冷たいお茶を出しました。

本当のところは、そこに冷たいお絞りを持って行きたかったのですが、そこまですると

喫茶店になってしまうので、諦めた覚えがあります。

 

また、コピーとりもOLの大事な仕事でした。

会議用に、「これを20部、○時までに会議室に用意してね。」と頼まれると、もう、

ずっとコピー室に閉じこもりきりで、紙の山に囲まれていました。

そして、会議がお昼に掛かると、お弁当を注文して用意し、お茶も用意しました。

そして、会議が終われば、片付けをしました。

 

お客様がいらっしゃったときは、お飲み物のオーダーを取り、コーヒーなどは、

近くの喫茶店に注文し、それをお出ししました。


しかし、あのころは、ちょうど、「ウーマンリブ」という言葉が流行っていたころでしたので、

仲間の中には、「お茶汲みなんてやってられない!」と言って、拒否する人も出てきました。

「ウーマンリブって、一体なに?」


                                        <続く>

シェンブルーン宮殿には、市内から出ている観光バスで向かいました。

前には、個人で出かけ、ガイドのテープを借り、ガイドブックと共に宮殿内を回りましたが、

その年は、観光バスで、ガイドさんと何組かの日本人のグループの方達と行きました。

 

私は、歴史的建造物に入ると、その時代に引っ張られることがあります。

説明に聞き入り、その時代設定に頭が切り替わり、その時代に浸ってしまいます。

ですから、説明が終わっても、ずっとその場に立ち続け、床から壁、天井の細部に至るまで

見回し・・・ふと気がつくと、グループの人達が、行ってしまっていたことが良くあります。

 

季節の良いときなどは、次から次へと観光客がやってくるので、迷子になってしまいます。

でも、ウィーンには、真冬にしか行ったことがありませんし、観光客も少ないので、遅れを取っても

直ぐに走り出し、追いつくことができます。

こういう自分に入り込んでしまう人間は、旅行会社・添乗員さん・ガイドさんの皆さんにとりまして、

やりにくいお客であることは間違いありません・・・ごめんなさい。

私も、わざと遅れようとしているわけではなく、余りにも上手なお話に、その時代にワープして

しまう、と言うことです。

 

マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネットがここでモーツァルトと出会っています。

マリー・アントワネットが、オーストリアからフランスへ嫁ぎ、ベルサイユ宮殿にて過ごした・・・

これだけ聞いても、沢山の場面が目の前に現れ、何時間でも立ち尽くしていたい・・・そう思います。

 

シェンブルーン宮殿を裏庭から見たとき、バルコニーの雰囲気がベルサイユ宮殿にとても良く

似ていたことに驚きました。

本来は、外壁に金で塗ろうとしたようですが、当時の財政などの理由により、その様にできず、

しかし、鮮やかな黄褐色の色にしたそうです。

そこから、マリア・テレジア・イエローと呼ばれているそうです。

 

 

時間制限があるけれど、ガイドさんは、テープやガイドブックとは比べ物にならないくらい充実した

内容で、歴史を感じさせてくださいます。

 

ただ残念なのは、いつも真冬に行くので、庭園の花々、木々が美しい・・と言われても、いつも

花はなく、木には葉っぱ一つない・・・寒々しい感じであったことです。

吐く息が真っ白な、透明な空気に包まれたシェンブルーン宮殿は、それでも、とても綺麗でした。


          ~~読んでいただいてありがとうございました~~


ウィーンに行ったのは、新年早々のことでした。

その日は、観光ツアーを入れておりませんでしたので、ベルヴェデーレ宮殿に行くことに

決めました。


ベルヴェデーレ宮殿には、市電・路面電車で行きました。

この宮殿は、もともと、対トルコ戦争の時に、ウィーンを救った英雄プリンツ・オルゲイン公の

夏の離宮でした。

オルゲイン公亡き後、ハプスブルク家のマリア・テレジアに売却されて、ここで、フランスに

旅立つマリー・アントワネットのために送別の宴をもったところです。

 

丘の上に建つこの宮殿からは、庭園が見渡せます。

真冬でしたので、庭の木々も葉をつけておらず、白い雪景色でした。


夏に来たら・・・絶対にもっと美しいに違いありません。

こんな素敵な離宮で過ごす夏なんて・・・と、また時代に引っ張られてしまいましたが、

このときは団体ではありませんでしたので、思う存分、時間の流れを感じることができました。

 

絵画のギャラリーで多くの作品を見たり、宮殿内をゆっくり歩いて、歴史の匂いを感じたり。


納得するまで、見学し、また路面電車でホテルへ戻りました。

直ぐには部屋に戻らず、ホテルルビーのカフェで、「カプチーノ」を頼みました。

大きな大型テレビが備え付けてあり、そこでは、楽友協会で行われているニューイヤー

コンサートが放映されていました。

 

そのあと、完全防備で、勇気を出して外に出ました。

近くにあったホテル・ザッハにて、「ザッハ・トルテ」と、やっぱり「カプチーノ」を頼みました。

その後、ケルントナー通りをゆっくり歩いて、シュテファン寺院まで歩きました。

どこを歩いても、やっぱりウィーンは「音楽の都」でした。

 

今度は、是非、夏に訪れてみたいと思います。

                                               <続く>


先日は、自然の音を集めた『ヒーリング』のCDで、ちょっと失敗してしまいましたので、

今度は、人が語る・・と言う『ヒーリング』のCDを買いました。

 

何枚か視聴をして、(うん!大丈夫、この声なら。)と思いました。

そのCDの説明書きを、さっと読んでみると、『1時間聞く』いうものでした。

 

優しい声で始まり、段々その声に意識が入って行きました。

そして、30分くらいしたころでしょうか・・・完全に寝ていました・・・大成功。

それでも、1時間のものでしたから、時々、優しい声が聞こえたり、そしてまた意識が

遠のいたり・・・凄いじゃない!

1時間で終わるので、わからない内に声は終わり、私は熟睡して明日の朝は

さっぱりしているというシナリオです!嬉しい。

 

そのうちに、声すら聞こえなくなりました。

今日は、大成功です。完璧です。

 

そして、1時間経ったころ、

「起きるのです!!!」

(え??なに????)

「さああ~~~~あなたの意識は元に戻ります!!!起きなさい!」

 

もうビックリして、私の心臓は壊れそうでした。

(なに!!?何が起こったの???)

 

本当にビックリしました。

優しかった声が、いきなり怒ったような・・・大きな声になりました。

 

そう、この『ヒーリング』は、『仮眠』するためのものでした。

そして、次の日、また私は、寝不足になったのでした。

先日、友人が『ヒーリング』のCDを貸してくれました。

暑い日々が続き、この頃は眠りに入ることも簡単ではありません。

 

お仕事では、眼を使いますので、とても疲れてしまいます。

冬ですと、温かい蒸気のアイ・マスクを良く使いますが、真夏ですので、

これは使えません。

 

ですから、ピリピリした眼の神経を休めて、少しでもぐっすり眠れるように、

早速、そのCDをかけて、寝ることにしました。

その『ヒーリング』のCDは、自然の音を集めたものでした。

 

まず、小鳥のさえずりから始まりました。

(あら、良いじゃない!?)

そして、優しい音楽が流れ・・・そのうちに、森に風が吹き始めました・・・。

(あ~~、とっても涼やかで良い感じぃ~。)

木々の葉が揺らぐ音・・・そして、葉と葉がこすれる音・・・。

(あ~~、寝られるかもぉ~。)

優しい音楽と共に、森を感じる・・・とっても眠くなってきました・・・。

 

そして、やがて川のせせらぎの音がしてきました。

冷たい川の水・・・(涼しいぃ~)。

冷たい水に足をつけて・・・なんて思っていたら、段々意識が遠のいてきました。

何分間か・・・熟睡モードに入って行きました。

 

そして・・・・・・やがて・・・・・・トイレに行きたくなりました。

なんとなく、水の流れの音が・・・トイレの音に聞こえてきました。


でも集中して・・・・。

何か、冷たい川の水を感じていたら・・・段々・・トイレに行きたくなってしまいました。

(でも!今、起きたら・・・また眠れなくなる!)

でも、自然現象には叶いません・・でも、抵抗し続けました。

(考えなければ良いのよ!)

そして・・・やっぱり、起きてしまいました。

 

一瞬でも熟睡してしまいましたので、もう、眠れませんでした。

次の日は、そう、寝不足でした。


♪ジャンジャン♪

鎮魂 ②

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今月8月6日は、広島原爆投下の日、そして、8月9日は、長崎原爆投下の日。
本当に多くの方々が犠牲となりました。

また、先日は、、1985年8月12日御巣鷹山での、多くの犠牲者が発生した事故が発生した日。
ご遺族の皆様の悲しみは、いつまで経っても癒されることがないと感じます。
毎年8月になりますと、この日が来て、思い出されるからです。

また、先日の新聞にありました。
「8月15日は、戦没者を追悼し、平和を祈念する日です。」と。
して、
「国民の皆様、戦没者に対し、それぞれの職場やご家庭などで正午から1分間の
黙とうをお願いいたします。」
と。

昨日も、戦争を題材にしたドラマをテレビで観ました。

もう、悲しいできごとは起きて欲しくないと思います。
にかく、毎年毎年、悲しい事故、事件によって、悲しみの日が増えていることに
本当に、胸が痛みます。

今の私にできますことは、ただ静かに目を瞑って、皆様のご冥福をお祈りすることだけです。

読んでいただいてありがとうございました。

鎮魂

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今朝、昨日の東日本大震災の津波被害が大きかった地域を中心に鎮魂花火大会に
ついてのニュースを観ました。

どの方々も、夜空を見上げ、静かに涙を流されていました。

こんなに胸の痛む花火を見たことがありませんでした。
また、こんなに胸の痛む花火大会の様子を見たことがありません。
本当に、本当に、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

また、いまだ行方不明の方々の人数を知り驚くと共に、そのご家族の方々の
ご心痛は、お察しするに余りあるものがございます。
昨夜も余震があり、やはり、5ヶ月前のあのときのことを思い起こされて、
お辛い思いをされていらっしゃることと思います。

また、ご不自由な状況にいらっしゃる方々も多いことを、毎日のニュースで
拝見しております。

本当に、なんと申し上げて良いか・・・言葉につまる思いでございます。


また、この8月は、終戦を向かえた月であり、やはり、日本中に悲しい思い出に
涙をされていらっしゃる方々も多いと、ご拝察いたします。
終戦記念日の今月は、戦争の映画が多く観られます。
胸が痛むのですが、現実を受け留めるために、観させていただいております。

私の父方の伯父、祖父、そして、父の命日も、終戦の日に近く、毎年静かに
この8月を過ごす次第でございます。

今日は、皆様と共に、静かに目を瞑り、時を過ごしたいと存じます。

読んでいただいてありがとうございました。

【初めてウィーンを訪れて、新年の日本文化紹介コンサートを国立オペラ座で観ました。】

 

会場が暗転。

舞台にライトが当たると、そこには浴衣を着ている日本人の子供達が立っていました。

その瞬間、会場が感動のため息に包まれました。

どうやら、「浴衣」がその要因でした。

そして、日本語で『夏の歌』が次々に歌われていきました。

 

そのうちの一人が、極度の緊張からか、舞台で座りこんでしまい、立てなくなりました。

直ぐに、舞台袖から日本人のアシスタントらしき人が出てきて、退場させましたが・・・。

日本で一年間、この日のために練習をしてきて、いざウィーンで舞台に立っていたら、

疲れが一気に出てしまったのでしょう。

 

その後、日本舞踊、和太鼓のショー、日本人によるオペラ、次々、私にとっては日常のもの

でしたが、客席からは、拍手、そして、ブラボーの連続でした。

 

最後には、ウィーン・日本人の学生、ウィーン・日本人の有志による、『ドナウ川のさざ波』が

ドイツ語によって大合唱されました。

この歌は、きっと世界中の人が1度は耳にしているものです。

一気に会場が、一つになりました。

 

こうして、幕は下りました。

 

余談ですが・・・・、

次の年、また行く機会があり、同じ会場に足を運びました。

なんとあのマリオネットのマダムが来ていました。

違う場所で、違う時間を過ごして、そして、ここでまた出会うことができた、それこそ奇跡に

感動してしまいました。

 

次の年、再び訪れることができました・・・そのマリオネットのマダムは、来ていませんでした。

(病気かしら・・・。)

とても、心配になった私でした。

 

次の年、再び、マリオネットとマダムが会場にいました。

ホッとしたと同時に、(いずれまたお会いしましょう・・・)と、心の中で願った私でした。

ウィーンでのステキな思い出でした。


                                              <完>

ある時期、毎年新年に、ウィーンの国立オペラ座において、『日本文化紹介』として

コンサートが開かれていました。

日本から参加した人達が、日本の歌を歌い、それに合わせて浴衣を着たり、着物を着たり、

みなさん1年を通じて練習をしていたそうです。

 

初めて、ウィーンに訪れた時、初めてこのコンサートの切符をいただきました。

そして初めて、国立オペラ座へ足を踏み入れるということで、緊張をしました。

 

開演時間の1時間前に到着すると、もう、たくさんのお客様でフロアーは溢れていました。

皆さん、ヨーロッパの方々でした。

ということは、この日本のコンサートを外国の方々が観るということでした。

日本が好きで、毎年、このコンサートを楽しみにしている方々であるという説明を受け、

驚いてしまいました。

新年のイベントということで、皆さん本当に綺麗に着飾っていました。

 

会場が始まりました。

席に座って周りを見渡しました。

この国立オペラ座は、1度空襲によって焼け落ちていて、当時の姿そのままに復元されて

いるそうです。

内装は、やはり日本の物とは全く違いますが、私には、表現力がないので、言い表せない

くらいとても、とても素敵です。

・・・歴史の匂いがしました。

日本が鎖国を解いて、やっと外の世界と交流し始めるころ・・このオペラ座が建てられたのです。

そして、モーツァルトが演奏をした・・・とのこと・・・同じ時を刻み、違う文化を築いてきたことは、

私にとっては、とても不思議に思えることでした。

 

やがて客席は満席になりました。

ふと目に止まった一人のマダム・・・手には、マリオネットを持っていました。

皆さん、カップルや家族単位で座っているのに、そのマダムは、1人でした。

そして、マリオネットに何か話しかけ、マリオネットと一緒に、オペラ座の内部を見回して

いました。

とても上品な、マダムでした。

 

この世界には、色々な人が、それぞれのライフスタイルを持っていて、そして、それぞれの

歴史があり、会話を交わす機会がなくても、こうして出会う。

この人生の不思議。

やがて暗転、コンサートが始まります。


                                                 <続く>

成田からニューカレドニア・ヌメアまでの飛行時間は8時間でも、時差は、2時間です。

私は、新婚旅行や長期休暇で行ったわけではありませんので、2泊の予定でした。

成田空港を、夜出発して、飛行機の中で映画など観ていると、もう到着です。

ヌメアは翌朝になっていますので、寝ている場合ではありません。

ホテルで朝食を済ませ、直ぐに観光に出かけました。

 

東京に来たヌメアの人達が、ビル群の写真をバチバチ撮るように、私も、ヌメアの街の風景を

バチバチ撮ってしまいました。

どこに行くにも、徒歩あるいは路線バスですが、この路線バスがとても可愛くて、

どこにも降りずに、そのまま暫く乗っていました。

タヒチが都会的とすると、ニューカレドニアは、まだ多くの自然が残っているという印象が

あります。

でも、やっぱり、海といつも一緒、太陽といつも一緒、南国の人々は、明るいと思いました。

 

ホテルに戻り、寝るまもなく、ホテルのプール、プライベートビーチで夏を満喫。

そして、トロピカル・カクテル!なんて飲んでしまったら、幸せな気持ちになってしまいます。

(このまま、時よ止まれ!)

 

そして、ビーチで、地平線に沈む夕日をずっと見ていました。とっても綺麗でした。

太陽の最後の1点が沈むと・・辺りは、一気に薄暗くなり、ひんやりしてきました。

(こうして、1日1日、ヌメアの人々は自然と一緒に暮らしているんだぁ!)なんて、また感動。

 

いよいよ睡眠不足でグッタリしそうでしたが、頑張ってホテルでご飯を食べました。

そして、そのまま・・・ホテルの敷地内にあるカジノに直行です。

私は、カジノでの遊び方は、あまり良く知りませんが、あれば行ってみます。

出発の朝起床してから既に、36時間経ってしまっています。

やればできます、何でも。

こんなボケボケの状態では、カジノで上手く行くわけもなく、何もできないまま負けてしまい、

夜中、部屋に戻り、バタンキューでした。

 

次の日は、イル・デ・パンへ日帰りで出かけました。

イル・デ・パンは、ヌメアよりも、もっと自然が多いところ、ビーチもやっぱり、どこよりも美しい

ところです。

長期休暇や新婚旅行などでは、こちらへ渡り、ゆっくり過ごすのに適した場所ですから、

少し残念でしたが、その日の内に戻り、フランス料理を堪能し、ゆっくり休みました。

そして、次の日、「天国に一番近い島」を離れました。


今日のブログを書く前に、私が描いた笑ってしまうような絵を、当社の

Manabeさんが、ブログにアップできるように加工してくれました。

本当にありがとうございましたぁ。



私どもは、海外の日程表を毎日作成いたします。

そして、いつもフライト番号、航空会社コード等を打ち込んでいます。

ある航空会社のコードを打ち込むたびに、思い出します。


前に飛行機に乗ったとき、面白い乗務員さんを発見しました。

 

調理室(ギャレー)の中で乗務員さんたちが準備などをしています。

その横をたまたま通りかかり、カーテンの隙間から見てしまいました。

 

上司のような感じの方が、一人の乗務員さんに言っていました。

上司  :「あなた、その頭のスタイル、相当、おかしいですよ。」

乗務員:「え?そうですか?自分では可愛いと思っているんですが・・。」

上司  :「可愛い?って、あなたその髪型、やっぱり変よ。」

乗務員:「そ~ですかぁ~?」

 

乗務員さんと言えば、こんな感じですよね。 ↓

新しい画像 (1).JPG

長い髪の方は大体このような髪型です。



でも、あのときの乗務員さんの髪型は、やっぱりとても変でした。

そして、本人だけです、可愛いと思っているのは。

 


だって・・・・だって・・・・・・だって・・・こんな感じ↓

2つお団子姿のスッチー (1).JPG
やっぱり、変ですよね・・・12時間近くこの人を見るたびにみんな笑ってしまう

ことでしょう。


結局・・・・この乗務員さんは、お客様にサービスをしていませんでした。

ずっと、カーテンの後ろで働いていらっしゃったようです。

本当にいろいろな方を発見します。


読んでいただいてありがとうございました。


先日、スペースシャトル最後の打ち上げのニュースを観ました。

私は、ロケットを観るたびに、コンコルド機を思い出します。

コンコルド機を下から見ると、ロケットに似ていると、日頃から思っていました。

ロケットは、地面と直角に発射。

コンコルド機は、地面と斜めに離陸・・・。

 

昔、ある旅行会社が企画した

「コンコルドに乗ってマッハ2を体験!パリ・ダカを観に行こう!」

というものがありました。

 

本来、コンコルド機は、パリ⇔ニューヨークを3時間半で飛んでいました。

この旅行会社の特別企画で、パリ⇔ダカールをヨーロッパの空の上を

迂回しながら、4時間近く掛けて飛んで、その間に『マッハ2』を出す、そして、

ダカールに向けて飛行して行く・・というものでした。

 

通路は以外にも狭く、細い機体ならではだと思いました。

コンコルドは、100席全てファーストクラス。

 

お食事はファーストクラス形式で、約2時間くらい掛かりました。

そして、コンコルドの機長が

「今からマッハ2を出します。皆さん、カメラをご用意ください。」

と、アナウンスをしました。

感動の瞬間です。

 

一斉にお客様達は、カメラを持ち、スピードを表示するパネルのところに

集まりました。

バチッ・バチッ・バチッ・バチッってシャッター音。

 

ダカール空港に着陸すると、大拍手!大歓声!

 

2001年に悲しい結末があり、コンコルドがなくなりました。

今でもシャルル・ド・ゴール空港すぐ傍に、模型のコンコルドがあります。

やはり、とても寂しいと思います。


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