2012年3月アーカイブ

前日の「大海老チリ」の味が忘れられず、そして、あの店員さんの笑顔と、

日本語が忘れられず、次の日も、また同じレストランに行きました。

 

お店に入ると、最初に案内をしてくれる店員さんが、前日の人とは違いました。

テーブルに案内されて、レストランの中を見回すと、昨日の店員さんはいませんでした。

「残念ね、昨日の店員さんは、今日はお休みなのね。」

 

オーダーを取りに来た店員さんは、女性の方でした。

「小さいお皿の、大きい海老チリください。」

と言いました。

その女性店員は、

「ショウボン(小盆)の、オオエビチリ?」

 

(お~、オッキイのエビ・・じゃないわね。日本語上手。)

と思いながら、

「そうです。」

と言うと、女性店員さんは、

「あ、でも、ちょっと待って!大エビチリはぁ~、ヨヤクしないとだめ。」

 

私  :「ヨヤク?予約しないとダメですか?」

店 員:「ソウ」

 

昨日の店員さんだったから、大海老チリが頼めたのかも・・とショックでした。

すると、その店員さん、いきなり、

店  員:「ちょっと待って!アオキさ~~ん!!アオキさん、ちょっと来て!」

  私  :(え?アオキさん?誰?)

 

そう、そのアオキさんというのは、そのレストランの責任者でした。

店 員:「ねえ、アオキさん、大エビチリは、ヨヤクしないとダメ?」

アオキ:「え?ちょっと待って。厨房に行ってくる。」

 

大騒ぎになりました。

 

でも、結局、大海老チリは、無事にオーダーできました。

やっぱり、美味しかったです。

店員さんの喋り方は、ちょっと乱暴ですが、また絶対に行きたいと思います。

 

読んでいただいて有難うございました。


あるレストランでのことです。
海鮮料理や、飲茶を頼み、炒飯をオーダーしました。

そのあと、ちょっとしてから、
「海老チリが食べたい」ということになりました。

 私 :「すみません、海老チリ1つお願いします。」
店員:「は~い、エビチ~リね~。」
 私 :「はい。お願いします。」

店員:「えっとね~、オッキイのエビと、チッチャイのエビがあるけど・・。」

かろうじて、理解できましたので、

 私 :「じゃあ、大きい海老でお願いします。」
店員:「は~い、オッキイのエビねぇ~。
    えっとね、オッキイのサ~ラとチッチャイのサ~ラがあるけど・・・。」

 私 :「え?何?」
 娘 :「大きいお皿のか、小さいお皿のか、って聞いているのよ。」
 私 :「ああ、そうかぁ。じゃあ、小さいお皿でお願いします。」

店員:「は~い。チッサイのサ~ラねぇ~。」
 私 :「はい。」
店員:「じゃ、注文繰り返します。
    オッキイのエビのチッチャイのサ~ラのエ~ビチ~リ、ヒット~ツね!

 私 :「え??何?何?」
 娘 :「大丈夫!大丈夫!」
そして、店員さんの方に、
 娘 :「はい、お願いします。」

その大海老チリは、とっても美味しかったです。

<続く>

東日本大震災が発生してから、ちょうど1年になりました。

まだまだ日本中が、多くの悲しみに包まれ、また、まだまだ多くの方々が

未だに不便な生活をしていらっしゃいます。

昨日は、日本中、そして、世界の都市でも、黙祷が捧げられました。

 

1年前の今日は、土曜日でした。

ですから、1年前の今日、倒れたもの・・壊れたものを、片付けていました。

とても緊張していたのを思い出します。

 

あの日、気がついたのですが、地震が起きると、家の中に置いてある

植木の葉が揺れます。

そして、部屋に吊るしてある風鈴が、「チリン・チリン」鳴ります。

 

あの日から、地震なのか目眩なのか・・・わからなくなる時がありました。

そんなときは、この植木の葉と風鈴に頼る、この1年でした。

 

被害に遭われた方々が、まだまだ息を付ける状況ではないことを

毎日の新聞・TVで知らされています。

そして、1年経ったのに・・未だにあの時のままの状態が続いていることも

知らされています。

観ることが辛い映像もあります。

でも、絶対に目を背けてはいけないと言い聞かせながら、観ています。

 

私は、この場所で、私の毎日を真剣に生きて行こうと、決心しています。

 

どうぞ、皆様、お大事になさってください。

<読んでいただいてありがとうございました>

【チューリップで満喫できなかった私たちは、直ぐに、次の目的、アンネフランクの家に

行きました。】


私は、『アンネの日記』を何度も読んでいましたので、冷静ではありました。

それでも、実際にアンネフランクの家を訪れて、ふと気が付くと、自分が

アンネフランクに重なっていました。

そのとき、涙が出ました。

 

『アンネの日記』の舞台を観たことがあります。

ンネフランクが、日に日に追い詰められていく、そんな情景が目の前にあると、

とても悲しくなりました。

俳優たちが演技しているとはいえ、胸が苦しくなる、そんな舞台でした。


日記を書いていた時は、まだまだ希望がありました。

でも、書いていくうちに、(実は、もう駄目かもしれない)という感情が湧いてくる

のです。

そんなことを感じさせる文章。

希望を持って良いのか悪いのか・・・。


それでも、励ましあって、一日一日を、あの小さな部屋で暮らす。

でも、結局、最悪の結果になってしまうのです。

そんな、絶望をアンネが感じた瞬間・・・。 


そして、結局は、収容所で亡くなった、アンネフランクのことを思い、日記を読み返して

いると、こうして後世に残し、人々に伝えていく必要を痛感しました。


<読んでいただいて有難うございました>

アムステルダムに行ったら、絶対に行きたいところがありました。


チューリップ畑を見ることができなかった私たちは、時間にも余裕ができたので、

そこから、直ぐに行くことを決めました。

「アンネフランクの家」です。


ずっと小さい頃から、「アンネの日記」を読んでいた私は、どんなところで、どんな

気持ちで、どんな風に日記を書いたのか、知りたかったのです。

日本から遠く離れる、アムステルダムの地で、一体どんなことが起こっていたのか・・

それを知る必要もあると思いました。

 

アンネフランクの家は、「そこ」と知らされなければ、通り過ぎてしまう、本当に当たり前に

建っている建物の一室でした。

階段で登って、入っていくと・・・ありました、本当に、本当に、小さな部屋でした。

ここに、息を潜めて、隠れていたのでしょうか・・。

日記もありました・・・ギンガムチェックのカバーが、とても悲しいものに見えました。

本当に、小さな、小さな、お帳面でした。

<続く>

このアーカイブについて

このページには、2012年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2012年2月です。

次のアーカイブは2012年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。