シンガポール 【伯父と父】

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私の父は、もう、18年前に他界いたしました。

その父の兄、伯父ですが、戦争終結直後、ピストルで自決しました。

伯父は、シンガポールで終戦を迎え、隊の部下の方達が、捕虜になることを避けるため、

責任を取り、自ら命を絶ったのでした。

 

ですから、私は写真でしか伯父の顔を見たことがありません。

父に顔がとても似ていますが、写真の中の伯父は、軍服姿で、とっても立派です。

隣には、出兵する前に結婚したお嫁さん・伯母が座っています。

そして、伯母も、広島の原爆ドームの近くに住んでいたため、原爆の投下後、数日して、

亡くなりました。

ただ、伯母には、シンガポールでの伯父の死は知らされていませんでした。

 

母は、伯父にも伯母にも会ったことはありませんが、伯父に付いては、父や父の両親から

聞いていました。

「伯父様は、本当に立派な方だったそうなのよ。どうして兄弟なのにこうも違うのか・・

笑っちゃうけど。」

などと、いまだに言っています。

 

結局、伯父の訃報の知らせ1通が、唯一、伯父は確かにシンガポールにいたという証でした。

いよいよ、部下の方達が日本に戻ってきましたが、大混乱の状況下では、父はもとより、

父の両親もその方々に、会うことができませんでした。

 

その後、それこそ30年後ぐらいに、部下の1人と父が、偶然に会うことになりました。

伯父の話を、父は本当に興味深そうに、そして、嬉しそうに聞いていました。

 

部下の方達は、当時、日本に帰れるのなら、どんなに小さい物でも良い、日本にいる伯父の

家族に、遺品を届けたい・・と思ってくださったのです。

そして、ありとあらゆる物を小さく刻んで、ご自分達の髪の毛の中、下着の中など、隠せる物を

隠せるところに、隠せるだけ、持ち出してくださいました。

ところが、一時的に捕虜になったとき、洋服を全て脱がされて、髪の毛も刈られてしまい、

伯父の遺品は全て無くなりました。


<続く>    毎年7・8月は、平和を願わずにはいられません。

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このページは、akinagaが2011年7月27日 19:57に書いたブログ記事です。

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